朝の6時からバックパッカーズのリビングルームで日記を書いていた。


日記を書く時間は限られている。 基本的には睡眠時間を削って書く必要性が出てくるからだ。

誰かと話すことを最優先としていたため、日記を書くことが後回しになってしまっていた。

その日その時感じた感情を文にするには、2日後までが限界だなと思う。

2日を越えてしまうと体験した情景が、どんどんと淡くなっていってしまうからだ。

コーヒーで眠気を覚まし、昨日の出来事を振り返る。 少しづつペンを走らせていく。

今日も広島に滞在する予定だったのだけど、先に予約をしていた広島のユースを断ることができず、移動を余儀なくされた。

ユースは広島市から少し離れた丘の上にあった。 敷地は広く施設も大きかったが、市街地との距離が少し難点だ。 荷物を預けると、バスに乗り市街地まで戻る。

2日間、広島市内に滞在していると、居心地が良くなってくるのは気のせいだろうか。

人も温かいし、風景も綺麗だし、街並みも整っている。

ぶらぶらと商店街を練り歩き、本屋でアート写真集を立ち読みし、九州の地図を買った。

一番悩んだのは帽子だ。 出発して10日目で持ってきた帽子をなくしてしまい、必要としていたのだ。

色々な店で帽子を物色し、懐事情と相談を繰り返した。

なくした帽子が偶然にも売っていたけど、既にその帽子を買うほどの余裕はなく、値段を落とした同じような帽子を買った。

旅先でものを無くすというのは非常に痛い。 必需品であればまた買わなければならないからだ。

毎日、出発する前に点検しなきゃと思うけど、忘れてしまう。

今日もバックパッカーズにタオルを置いてきたのだ。 あうあー。

午後からは知人のヨネさんと待ち合わせ、原爆資料館を見学しに行った。

18年ぶりぐらいに資料館を訪れたけど、子供の時と視点が違って色々と考えさせられるものがあるね。

一つの展示スペースから次に足を進めるのに、時間がかかる。

資料館にはたくさんの中学生が修学旅行や社会科見学で訪れていた。 子供達はまるで大きな蛇のようにつながって展示物の側面をするすると移動していた。

子供達は今何を感じているんだろうな。 この壁に書かれた悲痛な叫びを読んで、何を感じているんだろうな。

自分の以前来たときの姿と彼らの姿が重なり、彼らの今感じている何かを探りたかった。

大きな蛇がいなくなった後の資料館は、嵐の後の静けさ。

大人達が真剣な眼差しで、一点一点の資料を一行一行をゆっくりとなぞっていた。

途中から俺は写真を見るのが辛くなってきて、展示された文章から何度も目を逸らしてしまった。

見れないよ。

当時の広島は豊かで栄えた都市だったんだけど、戦争が始まるや否や生活物資を生産していた工場が、全部、軍需工場の生産を強制的にしなければならなくなり、市民の生活は困窮にあえいでしまった。

工場の生産が需要に追い付かないため、学徒や女性まで工場にかりだされ、全体の労働力の4分の1が幼い子供たちの力で賄われていた。

また朝鮮や中国からも労働をさせるため、半ば強制連行という形で多くの人間が連れてこられた。

今挙げたすべての人たちが原爆対象の地域で働いており、8月6日、悲劇の犠牲になってしまうのである。

圧倒的なインパクトを心と頭に焼き付け、見終わった感想は 「むこう10年は来たくない」 原爆資料館を後にし、朝歩いた商店街の方角に向かった。

今日は「とおかさん」の最終日で、浴衣をきた女の子が露店で買ったいろんな食べ物を美味しそうに食べていた。

その露店の数がものすごい数で、広島市の中心街の通りという通りにびっしりと連なっていた。

金魚すくいやが何十件てあるんだよ。 こんな見たことのない祭りの最中に、広島に来れてラッキーだったな。

少しぶらついた後、お好み焼きを食べて、居酒屋でまた色々な話をした。

不思議な時間なんだよな。

「飲んでるとここは本当に広島なのだろうか」とふと思い、今こうして席に座ってビールを飲んでいる自分に違和感を感じるのだ。

宿に帰ってシャワーを浴びているときにまた思いがこみあげてくる。

I'm a stranger in this city
stranger than phantom


まさに自分が旅に出る前に掲げていたテーマが、今、現実に起きている。

そんな気がして、俺は旅をしていることを再認識した。

※掲げていたテーマ 
Stranger than phantom

自分の中に作った限界という自分、弱い自分、自己嫌悪する自分を悶々と抱えるよりもむしろ何にもとらわれない、素直な自分、不慣れな自分として旅をしたい。


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