松山のユースの朝食は軽いブッフェ型式になっており、他のユースに比べると割安だと思う。
従業員の方々とテーブルを囲み、TVで放送されている選挙放送をぼんやり見ていた。
昨日はお金を使いすぎてしまった。 無論、無駄遣いが原因だけど、小さいバッグを買ったのが一番の原因となっている。
家から持って来れば良かったと少し後悔した。 小さいバッグは前々から必要性を感じていた。
貴重品を入れるにしろ、観光用のバッグにしろ重宝する。 一番の理由はカメラとメモ帳をしまうことにある。
今までは自転車に乗りながら、写真におさめておきたい風景や思いついた言葉を、一旦、自転車から降りてバックパックから取り出していたため、苦労が絶えなかったのである。
このバッグさえあれば自転車から降りずに、その場でいろいろ出来るというメリットが最大の購入動機となった。
四国最終日となる今日、最後のお遍路を行った。
今日も変わらずに歩き遍路、団体お遍路、夫婦お遍路と、多種多様のお遍路さんがお寺を訪れ、様々な願いを手を合わせ心の中で囁いている。
今も昔も変わることがないだろう般若心経を読経し、今も昔もこれからも、変わることがないだろうお遍路の文化と形態が、四国の文化的景観を豊かなものにしている。
「ありがとう四国」 そう弘法大師像の前で呟き、素晴らしい景色を見せてくれた、素晴らしい出会いを結んでくれた、そんな心の故郷・四国に感謝をし今治市から海を渡った。
今治市からは、しまなみ海道を渡り、広島県にむかうことにしたのだ。
しまなみ海道は、今まで走ったサイクリングコースの中ではダントツに見応えのあるコースだ。
夕方に近づくにつれ雲の量が少なくなって来た時は、走りながら笑ってしまうぐらい嬉しくてしかたなかった。
しまなみ海道を進んで最初の島、大島に降り立ち、山の頂上にある展望公園を目指した。
汗だくになり死にもの狂いで山をよじ登った。
「最高の夕日が見れなかったらどうしてくれるんだ」
次第に熱が入り、独り言を言い続ける。
シャツやパンツがビショビショに濡れてしまったけど、空前絶後のすさまじい景色を目の当たりにしたのだ。
山の高台からは島と島に架かる橋を中心に、瀬戸内海に浮かぶ島々が見え、海に沈みゆく太陽の光がまっすぐにこちらに向かってきている。
「美しい・・なんて美しいんだ・・・」
口をあんぐりと開けて、まばたきをするのも惜しいぐらい、一瞬、一瞬の移り変わる空のグラデーションを目に焼き付けていた。
こんなに美しいと泣いてしまう。 涙腺がゆるみ、くちびるが震えていた。
誰かに伝えたかった。 感動を共有したかった。 だけど俺は一人で。 一人で美しい景色と対峙している。
フレドリック・ブラウンという小説家がこんなことを書いている
「俺が言おうとしたのはそれだよ、坊や。 窓の外を見たり、何か他のものを見るとき、 自分が何を見ているかわかるかい? 自分自身を見ているんだ。 物事が美しいとか、ロマンチックだとか、 印象的とかに見えるのは、 自分自身の中に、美しさや、ロマンスや、感激があるときにかぎるのだ。 目で見ているのは、 じつは自分の頭の中をみているのだ」
俺が見ているこの美しい風景は自分自身を見ているんだ。
いくら感動してもその思いを語りあう相手がいない。
吐き出されない思いというのは自分の心に深く刻まれ、いつまでも心の引き出しにしまわれる。
俺は日が落ちて、対岸に広がる町の明かりがつくまで、今この目で見ている風景を噛みしめていた。

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