天気の状態が安定して、空に浮かんでいる雲の厚みも薄いシーツを一枚羽織ったように、太陽の光がこぼれ、雨が降る兆しは完全になくなった。


大洲市は松山市から50km程しかなく、移動は数時間で済んでしまう。

ただ走るだけでは面白くないので、わざわざ遠回りをし、大洲から川の流れに沿って海岸線に出て、豊後水道を眺めながら松山を目指すことにした。

豊後水道は太平洋から流れてきた黒潮と瀬戸内海の潮がぶつかる場所で、潮流がとても激しい場所である。

その影響で海域にはプランクトンが豊富に存在し、程よく脂の乗った、身が締まった魚が獲れる。 日本有数の漁場というわけだ。

海岸沿いの道から海を眺めれば向こう側に九州の大地がうっすらと確認できた。

ところどころに港が存在し、漁師の人たちはのんびりとタバコの煙をくゆらせながら縄を結んでいたり、網を修繕していたりと、いつもと変わらない暮らしをしていた。

休憩を挟みながら進み、松山市の道後に到着したのは午後の2時を回っていた。

宿泊する松山のユースは道後温泉のすぐ脇に存在し、立地もさることながら施設も充実しているため、松山観光に訪れた際は利用してみてはどうだろ。

相部屋 2,625円、一人部屋 3,150円だったかな。(2011年5月現在) 値段も安い。

荷物を預け、ぶらぶらと松山をほっつくことにした。

日本古来からある道後温泉街。SLの形を模した路面電車が温泉街の玄関に帰着していた。

少し移動すると大街道や銀天街といった繁華街や歓楽街が松山城下にある。

松山は古さと新しさが混在していてとても良い街だ。 気になるのは街に革新性というか発展性というか、そういうものを全く感じられなかったことがある。

きっとこの景色はこの先余り変わらないんだろうなと、つぶれかかった店や空き物件の張り紙や、昔から変わりばいしない店などを横目で通り過ぎていくと感じずにはいられなかった。

そんな街を練り歩く中、声をかけてきた青年がいた。 若い相手から声をかけてくるケースというのは自分のなかでは決まっているのだ。

宗教の勧誘だ。

なぜ俺を選んだのだろう?真っ黒に日焼けしているし、旅人風情で人と違った雰囲気が出ていたのかな。

サングラスかけて自転車を片手で押している。 変か…

自意識過剰なのかもしれないけど、昔から宗教絡みの勧誘をよく受ける。

悩みが多くて、自分を変えたい。 そんなところを見透かされているのかな。

俺は無下に断ることをせず、話をすることにした。

彼はまだ20歳で、大学を中退して宣教師になったらしい。

宗教団体に所属しても、若いうちは転勤がやっぱ多い。 一年経たないうちに各地を転々とする場合も多いみたいだ。

もともと家族がクリスチャンで、大学に入ったばかりの時は宗教にはまるで興味がなく、HipHopにのめり込んでいた。

漠然とした理由で宣教師になることを決心し、今こうして布教をしている。

きっと何気ないことが発端で新たな道を歩み始めたのだろう。 人の人生はわからない。

運命は決まっているのかな。

日が暮れるまで街を歩き、必要な道具を買いそろえることにした。

ユースは快適な環境だ。


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