四国はこれからずっと雨。天気予報から残酷なお知らせが届いた。


移動中、雨で冷える体に耐えられなくなり、防水用のパンツをホームセンターで購入した。

完全防水ではないけど、水着でいるよりはましだ。

台風の接近に伴い、雨脚が弱まることはなかった。 道の駅に辿り着いた時には、生まれたての小鹿のようにぶるぶる震えて、かじかんだ手を必死にこすって温めた。

朝目を覚まし、道路に目をやると、お遍路さんは既に歩き始めている。

道の駅で出会ったそんな一人のお遍路さんは、なんだろうか、かっこよかった。 言動、顔の表情、性格。良い具合に男気があった。

年齢は還暦を超えていると思うけど、考え方が若く、若者とも対等に話をするところがダンディさを引き立たせていた。

自分の考えを押し付けない、若者のいうことに耳を傾けている、時代の先端の情報に対してもよく知っている。 とりあえずかっこいい。心の寛容さがにじみ出ていたんだな。

この方は東京の東久留米に住んでいて、毎日自転車で自宅から六本木まで通勤していたことがあったそうだ。

「人間ていうのは猿から進化してずーっと歩き続けてきたんだから、いつまでも歩かなきゃいけないんだよ」 とそんなことを言っていて、年老いたら普段から歩いている人と歩かない人とでは健康に差が出る。だから周りの連中はアウトドアやバックパッカーが好きでやっている人が多いそうだ。

お遍路をしている理由は、仕事をしていて嫌なことや打ちのめされることが多々あって、自殺したくなって首をつろうかと考えたこともあった。

何度か立ち直れなくなることがあるんだけど、不思議とここに来ると(歩きお遍路)、少し立ち直ることができる。 そう彼は言っていた。

「雨の中、歩くのだりーなー」と別れ際に言っていたのが印象的だった。 いつまでも若く健康でいてほしい。

今日は、四万十川の流れに沿ってサイクリングをすることにした。

四万十川が大きく蛇行した地点に今はいるのだ。 今日、出発する窪川から終点の中村までおよそ85km。 雄大な四万十の流れとそこで暮らす人たちの集落が見応えのある原風景となっている。

四万十川は山地の間を大きくS字を連ねたように蛇行を繰り返し下流へと流れる。

川はよく頻繁に洪水を引き起こす川でもあり、河岸には石積みの堤防や護岸のための竹林が多く見受けられた。 代名詞である沈下橋もそんな理由からきている。

川の流れと同じスピードで上流から下流へ自転車を漕ぎ、ところどころに存在する沈下橋の前で足を止めた。

川にかかる沈下橋の上には、山と山とをつなぐ架け橋のように霧がかかっていた。 四万十の清流がここに暮らす人々の生業の源となり、水資源を利用した広大な水田で田植えをおこなっている人々がいた。

生活道路からはそれた道を今日は走っていたためか、静けさが身に染みた。 農業用の軽トラックが数台通る程度で、観光客もまばらだ。

土、日にはアクティビティを楽しみに川へやってくる若者が多いけど、今日は数名のカヤックを体験ている人を見かけた程度だった。

晴天の日にカヤックやサイクリングを楽しみに四万十へまた来たいな。

沈下橋近くの東屋で一人、ギターを弾いている男性がいた。 俺が近くにいるせいか、か細い声で井上陽水を歌っていた。

微かな雨音と遠くから聞こえる鳥のさえずりに妙にしっくりくる音色だった。

不思議な空間を体験したな。


 
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