橋の下で目を覚ました。 河川敷の遠くに太陽が昇り始め、ぼんやりとその光景を見ていた。


橋の下ではもう眠らない。

橋を通る車の音はうるさく、深夜に河川敷に集まる若者の集いが眠れる安心感を与えてはくれなかった。

何か盗まれるんじゃないか。ちょっかいを出して来るんじゃないか。 まぶたを閉じても神経が過敏になり、じっと聞き耳を立てていた。

唯一の利点は伊勢神宮の近くで寝ていたことだ。早朝に参拝をしたかったので6時には準備を済ませ出発をしていた。

伊勢神宮は内宮と外宮の両正宮を中心として14所の別宮、109社の摂社・末社から成り立っている。125社の宮社の総称を「神宮」と言う。

まずは外宮へと足を運ぶ。

朝の透き通った空気と杉の木の間にさす木漏れ日が、神々しさを際立たせ、幻想的な感じがする。

最もこの神秘的な雰囲気を作り出しているのは人がいないからだろう。 人がその場にいるだけで世俗的な感じになるのは不思議なものだ。

内宮の方はというと別格に美しい。神社の頂点に位置することもわかるほど、神々しくまぶしかった。

内宮に隣接する五十鈴川、遠くから野鳥のさえずりが聞こえ、せせらぎが静寂の中に響いている。

社屋の中では白装束に身を包み、烏帽子に木の靴を履いたいかにも高貴な人が、祈祷の準備なのか右往左往している。

若い職員はみな、落ち葉をかき集め社屋を清めている。落ち葉を一枚一枚拾っている姿は、丹念に作業する意味を教えてくれる。

内宮を後にして駐車場へと戻ると、数台のバスが入ってきた。 朝の7時半なのにもう観光客や学生の団体が押し寄せてきている。きっと俺が味わった神秘的な体験は出来ないだろう。

伊勢から志摩へと自転車を進め、鳥羽市へと出た時だった。

ビジターセンターの前で休憩をしつつ地図を見ていると、物珍しいそうにおじいさんがこちらを見ている。

俺が挨拶をすると、おじいさんはビジターセンターの職員のようで館内へ招き入れてくれた。

早速、年配の人特有の自慢話を繰り広げるのだけど、それがとても凄い自慢だった。

おじいさん(松本さん)は70近い年齢なのだが、伊勢・志摩の空をモーターパラグライダーに乗り飛ぶことが趣味でもあり仕事のようだ。

8年前に新たなことに挑戦しようと始め、今では自由に空を飛びまわり、空の上からとった写真や動画が市の広報に採用されている。

館内に所狭しと写真が飾られ、 「これはこの場所、ここはこうやって撮った」 と丁寧に自分が取った写真を説明していた。

夢は何歳になっても持つことが出来るし、叶えることも出来る。

人生、何歳になっても、その時の挑戦があって、達成があって、生きがいがある。 何歳でも生きることを楽しめるんだと思うと希望が湧いてきた。

松本さんと別れた後は、海沿いを走り志摩市へ。 高台から望む海の景色はとても綺麗だった。 大小の島々が海に浮かび、海女さんが漁をしている。

志摩は自然が豊かな場所で、そんな一つの島の海辺でぼんやりとギターを弾きながら景色を眺めていた。

2車両編成の電車が行き来し、入江の舟屋の上では漁師が作業をしていた。 なんてのどかなのだろうか。 言い様のない心地よさが夕暮れまで俺をその場に留まらせていた。

宿はユースホステルを利用し、また出会いを楽しむことにした。しかし80名収容と大きい施設にも関わらず宿泊客は俺を含めて2名のようだ。ユースホステルを利用する文化が廃れてきているのだろうか。

ユースのオーナーさんと今と昔の旅のスタイルの違いやどういう人が今もユースを利用するのか、洗濯をしながら立ち話をした。

俺が夕飯を取り終えたころに相部屋となる坂井さんが部屋へと入ってきた。お互いユースを利用するのは初心者で打ち解けるまでには察して時間は要さなかった。

酒を飲み、人生の先輩の話に耳を傾ける。 話の中で印象に残った内容がある。

自分に似合う服、似合わない服があるように。似合う人生、似合わない人生があるんだよ。」

「俺の人生には、日本一周をしたいという考えすら頭に思い浮かばないし、自分の似合う人生じゃないんだろうな。」 と坂井さんは言った。

俺にはどうしてもその内容が理解できなかった。

似合う服、似合わない服ではなく、自分の好きな服を着ればいいのでは。 多分この考え方自体が、俺に似合った価値観なのだろう。


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