秋田 奥地 花輪鹿角を訪れる 自転車日本一周92日目
五十嵐くんとはキャンプ場を出てから大館市街まで一緒に走り、そこでお別れをした。
大館からは比内を経由して鹿角に入ろうと考えていたため、国道から県道にルートを変更し、地元の人しか通らない道を走る。
道沿いに集落はあまりなくて、点々と民家が存在するほかは鬱蒼とした森が続いていた。
車もたまにすれ違う程度だ。
深い森の中を走っていると東北に来たことを実感できた。
針葉樹林の深い色合い、匂いを感じ森とつながる。
自然と一体になれるのだ。
鹿角市に着いた頃には16時半を回っていた。
今日は知人の長澤さんの実家にお世話になる。
長澤さんの実家はダンススクールを経営されていて、ご両親ともにダンスのプロであり先生である。
お父さんは出張で不在だったので、出迎えてくれたお母さんと日が暮れるまで会話をした。
ダンスの事から人生の事、世間話に至るまで色々な内容を話した。
社交ダンスに触れる機会が今までなかったので、お母さんの話を聞いているだけで新鮮だった。
ダンスフロアを寝床として提供して頂き、荷物をおろして近くの銭湯に足を運んだ。
駅前の銭湯はまさに古い銭湯だった。
入り口を入ると男湯と女湯の暖簾に分かれ番台と脱衣場と風呂場。
脱衣場の色々な場所に常連客のお風呂セットが乱雑に放置されていて、暮らしの一部として銭湯が機能していることがうかがい知れた。
常連客の要望なのか風呂の温度設定が異常に高く、2,3分浴槽に浸かるのが精一杯だった。
脱衣場で体の火照りを冷ましていると、主人が話しかけてきた。
これから開催される鹿角花輪の祭りの話や自慢話を嬉しそうに語っていた。
この自慢話が特にすごい。
同じ内容の話をまるで決められた言葉しか話さないロボットのようにフレーズを一語一句間違えずに何回も話していた。
嬉しそうに話す主人を見ていると邪険には扱えない。
それから30分間ぐらい話を聞いていた。
大事そうに額に入れられた家宝の風呂免許なるものを自分に見せてくれた。
風呂免許は維新戦争以前に発行されたもので170年の歴史があり、全国でも唯一現存する風呂免許はここの銭湯にしかないそうだ。
俺は主人をぶっちぎりに褒めたたえ、写真をあらゆる角度から撮った。
風呂免許を片付けた後、嬉しそうに番台に戻っていく主人の姿を見て自分も嬉しかった。
秋田 旅人の聖地 青森ねぶたを目指す 自転車日本一周91日目
秋田県の朝は寒い。 テント内に入ってくる冷気が体を冷やし深夜に寝袋をかぶらないと眠れないぐらいだった。
6時にテントから這い出し顔を洗っていると、田園を吹き抜ける風が冷たく身震いをしてしまった。
寒い地方に来たんだと肌で感じた瞬間だった。
のろのろと身支度をしながらサトシくんと1時間ぐらい立ち話をしていた。
青森ねぶたで再会する機会があるかもしれない。
いつかの再会を約束し、俺は先にキャンプ場を後にした。
特に進む方向も決めずに広大な田園の中を流しながら走った。
大地にポツンと自分だけがいると存在自体がかすんで、いてもいなくても世界は時を刻んでいくんだろうと感傷にひたった。
だからこそ何か自分の証をこの世界に残したいと思うのかもしれない。
白神山地を脇に望みながら海岸沿いを離れ秋田の内陸部へと自転車を進める。
立ち寄った道の駅で、ライダーの方にドリンクをごちそうになりねぶたの話を少しした。
ライダーさんは今朝までねぶたのキャンプサイトにいて、
「既に場所取り合戦を始めているほど旅人が集結しているよ」と色々な情報を教えてくれた。
ライダーさんは、ねぶたを楽しんだ後に北海道を旅する予定だったらしいんだけど、新潟県の住んでいる地域が豪雨の影響で水害がひどく、急きょ帰宅をしている途中だった。
後にニュースで被害の映像を見たけど被害が甚大なもので、2日遅く新潟県に入っていれば、大惨事に巻き込まれていたかもしれない。
今日も早めに無料のキャンプ場に到着してテントを張った後は隣接する温泉施設でのんびり過ごした。
温泉はいつ振りだろうと考えてしまうぐらい久しぶりな気がした。
休憩所で寝転んでバニラアイスを食べる。
扇風機の適度な風が気持ちよく次第にウトウトと夢の世界へ落ちてしまった。
気づいた時には18時に差し掛かろうとしていて、外に出ると太陽の日差しは弱まりギラギラとした暑さは姿を消していた。
キャンプサイトは区画が植物で仕切られているため、個室のようになっている。
日が沈みかける時間に自転車に乗って自分の区画を横切る若者がいた。
若者が俺が自転車旅をしていると気づいて「ご一緒していいですか」と声をかけてくれた。
「もちろんだよ」と返事をしてテントを並べながら芝生に座り会話をした。
若者の乗っている自転車はランドナーと言って、旅用のクラシックな自転車のタイプだ。
若者、五十嵐くんは大学生のサイクリング部に所属していて自転車に詳しかった。
乗っているランドナーも自分でオーダーして作っていた。
見ていて惚れ惚れするほどかっこいい自転車だ。
使用している部品やキャンプ道具にもこだわりがあり、自分のスタイルを持っている。
きっと沢山の旅を経験していて慣れていることもあるのだろう。
五十嵐くんの言動や感性は20歳にしては少し大人びていたけど、人を惹きつける何かがあって俺はすぐに好感を持つことが出来た。
自転車好きがこうじてランドナー系雑誌の連載記事を書く仕事を貰えたそうだ。
五十嵐くんも8月3日に青森ねぶたに参加する予定だ。
キャンプ場の向かいにいるライダーさんも明日ねぶたに行く。
ねぶたにたくさんの旅人が向かうさまは、60年代アメリカで伝説となった音楽フェス、ウッドストックフェスティバル を彷彿とさせた。
ヒッチハイクやバイク、ド派手なバスに乗ってドラッグをきめこみ、サイケデリックに心酔しながらウッドストックを目指したヒッピー達に、俺は自分達を重ねて気分が高揚していた。
秋田 男鹿半島となまはげ 自転車日本一周90日目
朝食を食べた後はすぐに支度を整え、秋田市を出発した。
秋田港を通り男鹿半島方面へ自転車を進める。
港から男鹿半島までは沿岸に自転車道が敷設されており、男鹿半島を前方に望みながらのサイクリングは格別なものだった。
静かな海沿いを走ると無性にギターが弾きたくなる。
護岸のブロックの上で潮騒を聞きながら歌っていた。
予定もなく時間を気にせずにギターを弾いている感じが好きだ。
また自転車を漕ぎ始め男鹿半島に入った。
半島の入り口には大きな「なまはげ」の像が立っており、鬼の形相が威圧的な雰囲気を出している。
男鹿半島は秋田県を代表とする観光地として有名で年間を通して多くの観光客が訪れている。
「なまはげ」を代表とした伝説と伝承が非常に多い地域で興味深い。
男鹿半島の中心を通るなまはげライン沿いの真山神社を訪れた。
なまはげ伝承館という歴史資料館もある。
半島の反対側を通って大潟村方面に進んでいく。
天気が良いせいか海の色が綺麗に透き通って見えて北の海でも綺麗な海岸があることに嬉しさを感じた。
大潟村はかつて八郎潟と呼ばれた大きな湖があった。
そこを埋め立て大地を作り誕生した自治体だ。
湖の跡地には広大な田園が広がっている。
大潟村には無料のキャンプ場があったので今日はそこを利用することにした。
俺がキャンプ場でくつろいでいると、入口から重装備の自転車を押して近寄ってくる若者がいた。
日本一周をしているだろうことは雰囲気と装備でわかる。
若者、サトシくんは大学を休学し、沖縄を出発してから4か月かかって秋田に来ていた。
自分の倍以上の時間をかけて旅をしていることになる。
その行程には沢山の出会い、沢山の感動があったのだろう。
今まで経験してきた話を聞いていてそう思った。
サトシくんと夜まで話していて「自分には居場所がない」という言葉がでた。
毎日毎日場所を点々と移動し、野宿できる場所を探す。 この探す作業がしんどい。
野宿が慣れてなかった頃はうまく場所が探せず、駅前でテントを張っていたそうだ。
サトシくんと違い俺が感じる居場所がないというのは、精神的に落ち着けるよりどころがないことだった。
「家に帰りたい」のような物理的なことではなくて、現実の世界から自分の存在が浮いてしまっているのではないかと思う時がある。
街や観光地を訪れてもそこにいる人たちと時間の流れが違う気がして、誰とも会話をしていない瞬間は自分が透明人間なのではないかと錯覚する時があるのだ。
だから立ち話でもいいから人と接していたいのかもしれない。
サトシくんとの会話を通して自分の心の沈みの正体がつかめた気がした。
夜が更けてくると水辺が近くにあるせいか蚊が大量に押し寄せてきた。
ベンチに座っているとライトの周りに数十匹の蚊が集まりだし、テーブルに着地した蚊を手でつぶせるぐらいだった。
2人でシューティングゲームをしているかのように蚊を潰しまくり大戦争をしていた。
蚊の援軍は湯水の如く湧き出してきりがなかった。
白旗を潔く上げてそれぞれのテントに避難をすることにした。
お互い灯りをつけて、それぞれの日記を書き始めた。
山形 笹川流れ 松林でひっそりとキャンプ 自転車日本一周88日目
日が昇る前から激しい雨が降り始めた。
吹き荒れる風によってテントに水滴がぶつかり、けたたましい音が反響した。
今日はこのまま雨が降り続くのかなと考えつつまた眠りの中に入っていった。
2度目に目覚めた時は6時を回っていた。
相変わらず雨の勢いはおさまることがなくテントの中でじっとするほかなかった。
このまま道の駅にもう1泊するのか・・・
嫌な考えが頭をよぎり茫然とした。
天気予報を確認すると山形県は曇になっている。
村上市は県境のため2時間も走れば雨が降らない地域に行けるかもしれない。
希望的観測だけを頼りにテントをたたみ、雨の降りしきるなか漕ぎだした。
雨に濡れる稲の色もまた違う顔を見せて綺麗だった。
どんよりした雲の下にある海もまた綺麗だった。
山形との県境にある笹川流れと言われる海岸線を走る。
日本百景にも選定された県下有数の海岸景勝地であり美しい海で知られている。
新潟県側の県境にあるスーパーに休憩がてら立ち寄った。
レジに並んでいると自分の前と後ろ、そして他のレジに並んでいる人のカゴには オロナミンCのケースが入っていた。
特売日だとしてもそんなに飲むかね。
飛ぶようにオロナミンCは売れていった。
山形県に入ると見事に雨が止み、雲のトーンも明るい色に変化した。
道の駅に野宿しようと立ち寄ると、至る所にテント設営禁止の看板が建てられていた。
もちろん道の駅は宿泊所ではないので当たり前のことだが、そこまで言い切られるとその場を後にするしかなかった。
看板を出すほど旅人を煙たがる道の駅は初めてだった。
近くにあるキャンプ場に移動して寝ることにした。
料金が600円で安い。
このぐらいの料金設定であれば毎日キャンプ場でも良さそうだ。
静かな松林にあり、人の目を気にせずにいつでもテントを張ることができる。
道の駅に泊まる必要は全くなかった。
すぐにテントを張って、日が落ちる少しの時間、読書をしたりギターを弾いたり散歩をしたり、静かな一人キャンプを楽しんだ。
日が落ちると木々の間に吊るされた裸電球に明かりが灯り、家族連れの人たちが炭で焼けた芳ばしい香りを漂わせながら夕食の団欒をしていた。
腹が減る・・・
BBQしたい・・・
溢れてくるつばを飲み込み、いつのまにかギターを抱えながら眠りについていた。
新潟 田園の中で野宿 自転車日本一周87日目
新潟県にすっぽりと雨雲が覆いかぶさり、時間別の天気予報ではずらっと傘のマークが横に並んでいた。
走りたくはないが前に進まなければならない。
今日の宿の予約が満室であったことがもう1泊する甘い考えを払拭してくれた。
昨日自転車を整備したおかげで走りやすかった。
タイヤもパンパンに空気を入れたからスピードがぐんぐんと加速する。
10日に1回は空気を入れなければだめだな。
軽やかな自転車の乗り心地により3時間漕ぐだけで55㎞進むことができた。
村上市に入った場所に広々とした道の駅があった。
周辺はずっと田んぼが続いている。
芝生の面積も広く、風景に溶け込んでいる。
離れた場所に東屋が建っていて、今日はそこで野宿することにした。
この先、濡れずに寝れる場所があるとは限らない。
13時過ぎからじっとベンチに座りボーっと過ごした。
道の駅の売店でドーナツ、草団子、赤飯2パックを買って東屋に戻る。
ベンチに座り読書をしていると、田園から吹いてくる風が体を冷やしぶるぶると震えてしまった。
もう8月が近いというのに体感温度は4月ぐらいだった。
寒い地方に行く機会がなかったので、たまに急激に気温が下がるのは東北ならではなのだろうか。
久しぶりにカーディガンを羽織り、その上にジャケットを着て、寒さに耐えながら小説の世界に入り込んでいく。
時折、ザーザーと降る雨によって現実の世界に戻ってくるが、また静けさがやってくるとふっと違う世界に入っていく。
夕飯は塩っ気のない赤飯を空腹感を無くすために口に運んだ。
機械的に運んでいたが新潟で生産されたもち米から作られている。
美味しさのあまり箸が止まらず、2パックをぺろりとたいらげてしまった。
早々に温かいテントの中に入ってまた読書に耽った。
日本海最大の都市 新潟市 自転車日本一周86日目
新潟市は日本海最大の都市だけあって大きい。
若者の活気もあふれている気がした。
女の子の化粧のけばさ、おしゃれへの意識の高さ、若者向けの店の賑わい。
経済・文化の発展が若者を見ているとよくわかる。
ドンキホーテで多くの学生がたむろしていて、怖さを感じるぐらい密集をしていた。
新潟駅から近いバイクショップに出向き自転車を見てもらった。
早くても夕方までには整備できるということで一安心し、歩いて市内観光に出かける。
結構な距離を移動するから徒歩だときついね。
自転車の利便性を痛感する。
学園町通りまでまずは歩き昼食をとる場所を探した。
調べると学生に人気の店があるらしく、ぶらぶらとねり歩き看板や店先の暖簾の文字を目で追った。
だけど全然見つからない。
学園通りをもう一周して逃しはしまいと慎重に家々を見ていると発見できた。
ここは喫茶店だったのかという外観で全然気づくことが出来なかった。
ドアを開けると当然のことながら学生がひしめいていた。
ちょっと時代遅れの漫画を読みながら煙草をくゆらせている。
メニューはカレーとおまかせ定食だけ。
おまかせ定食を注文して、出てきた皿は大きなメンチカツに山盛りのサラダ。
サクサクのメンチカツを箸で割り口に運ぶ。
肉汁が口の中に広がり噛むたびにうまみが広がる。
すぐにご飯を一つまみしてメンチカツの味をご飯にふくませる。
炊き立てのコシヒカリは甘くて美味しかった。
食後にアイスコーヒもついて620円は安い。
市内の反対側方向に移動した。
新潟のデパート街をビールを片手にほろ酔い気分で歩く。
街の反対側まで歩くと下町風情の雰囲気になってくる。
数キロの間に学生街、デパート街、商店街、歓楽街、下町があるのは地方特有だね。
1カ所ですべてをまかなうことが出来るから東京に比べいつも便利だと思う。
商店街にあった豆腐屋でソフトクリームを買い、設置されたベンチに座って人の流れを観察した。
時間の流れが人々と違うように感じて自分が透明人間なんじゃないかと錯覚してくる。
帰りは信濃川の河口岸を通り、自転車屋にむかった。
整備も無事に終わって注文した箇所以外の整備もしてくれたようで、予定よりオーバーした額を提示された。
まあ仕方ない。
次いでに後輪用のタイヤの購入とチューブを2本購入した。
1万円以上の出費は痛い。
スムーズにギアチェンジが出来ることを確認し宿へと戻った。
新潟 親不知を抜けて糸魚川へ 自転車日本一周84日目
昨晩は23時にもなると肌寒くなるほど風が冷たく感じた。
宴会で残った焼きそばを朝飯として食べている時、バンガローから無表情なおやじたちがのそのそと出てきた。
それは羊が小屋から1列に並んで出てくるようだった。
昨日の宴会の残骸を全員で片付け、豚汁の用意を始めていた。
昨日のお礼を言いにおやじ達のもとへと歩みよった。
「青年、豚汁食っていかんか」 「あ、はい」 遠慮がちに返事はしていたが喉から手が出るほど豚汁をすすりたかった。
ちなみに「青年」と昨日から呼ばれ続けていて、青年と呼ばれることも妙に好きだった。
海岸に隣接する田園の中を走り、海と反対側には北アルプスの壮大な峰々が見えた。
天気が悪く山の輪郭しか確認は出来なかったけど、3000m級の山が連なる姿は本当に美しい。
1時間走り続けると新潟県に入り、昔から旅人の難所と呼ばれている親不知に差し掛かる。
15㎞の連なった崖が続く地帯だ。
昔の人は崖をわざわざ降りて岸辺を歩いていたそうだ。
現在は崖にへばりついている道をすすみ、この親不知を通過する。
難所となっている箇所は洞門になっていて、よろけようものなら真っ逆さまに海に転落してしまう。
最難関となる天険トンネルは2輪車通行禁止となっていた。
眼下の海をちら見しては身がすくみ、スリルに興奮しながら親知らずを疾走していた。
親不知を越えると糸魚川市内に出る。
糸魚川市から上越市までは40kmもある比較的長いサイクリングロードが敷設されていて、のんびり日本海を見ながら走ることが出来る。
集落に目を向けると木造の旧建築の家が立ち並び、屋根瓦の質感がぬめっとした光沢を放っていた。
瓦の色がオレンジなのも、この地方独特のものかもしれない。
市街に出た時に自転車旅の青年と遭遇した。
話しかけた時の反応にいつもと違和感があった。
明らかにコミュニケーションを避けているのが相手の表情で読み取れた。
富山に住む高校生の青年は夏休みを利用し北へ向かって旅をしていた。
夏休み初日ということで彼にとっては旅の1日目だった。
これから冒険が始まるんだな。
きっと一人旅がしたくて旅に出たんだろう。
困惑したに違いない。
俺は青年の気持ちを汲み取り「邪魔したね」と言い、先に進むことを促した。
旅の仕方は人それぞれ。
俺の高校の夏休みは毎日のようにガテン系のバイトをしていた。
お金を沢山稼いでギターを買うことしか頭になかった。
もっと友達と遊んでおけばよかったし、もっと女の子と合コンしておけばよかった。
20km進んだところで2度目のパンクをした。
最悪。
タイヤの空気圧が低かったことが原因だと思う。
タイヤもかなりすり減っていて段差の衝撃でチューブに傷がついてしまったのだろう。
チューブを交換し携帯のポンプで空気を入れる。
携帯ポンプでは一定の圧力までしか入れることが出来ない。
既に替えのチューブが底をついてしまい、都市の新潟市まで120kmもあった。
走れる状態にすぐになったけど、いつパンクするやもしれないと思うとビクビクして、あまりスピードを出すことが出来なかった。
富山の湧水 介護を考える 自転車日本一周83日目
コジケンは今日も仕事があるらしくひっそりと朝早くに出勤した。
2日酔いのせいで頭がガンガンした。
朝食を頂いた後は3人でドライブをしに行った。
富山にせっかく来たので北アルプス方面に車を進めたんだけど、山の上の方は霧で覆われてしまっていて アルプスの壮大な景観を見ることが出来なくて残念だった。
富山市内から車を40分走らせただけで立山の麓まで来てしまう。
登山愛好者にとっては夢の街だな。
立山の麓と市街地では3℃ぐらいの違いを感じるほど涼しげな風が吹いていた。
麓の駐車場から1.5km離れた称名滝を見物するため歩いて向かった。
谷を流れる清らかな水は透き通っているというより真っ青な色をしていて、不思議な色合いだった。
水に含まれる鉱物によるものかもしれない。
滝の近くまで行くと、勢いよく滝壺に落ちた水が水煙となり風に乗って谷を漂っていた。
それによって川に架かった橋の手すりはキンキンに冷えていた。
夏の暑い日はいつまでもここで滝を見続けていたい。
称名滝は落差が350mあり日本一だ。
残念ながら上の方は霞んでしまい見えなかったが山肌が水煙に淡く霞む風景は美しかった。
15時に大ちゃんとテルテル一家に別れを告げた。
お世話になりました。
時間が遅いため先にはあまり進めない。
県境にある無料のキャンプサイトを目指し県道を進んだ。
黒部市付近まで来ると、ところどころに湧水があり、北アルプスの恩恵が人々の生活を潤していた。
黒部市の水道料金は富山県で一番安く全国でも6番目のようだ。
全国の上位に入る街もやはり湧水が豊富にある場所で、安くて美味しい水が蛇口をひねれば飲めるのだから、それほど贅沢なことはない。
到着したキャンプサイトの水道も全て湧水を利用し、常に流しっぱなしにしていた。
贅沢極まりないキャンプサイトだ。
海岸の松原のなかに存在し、とても静かだった。
テントを張り終え夕食をとっている時、近くで宴会をしていたおやじ達が一緒に飲もうと声をかけてくれて、遠慮することもなくお呼ばれした。
定年を迎えたり早期退職をした人たちで、大手メーカーの元同僚の集まりだそうだ。
60歳近くになって、こうして友達と集まってキャンプをするのっていいね。
俺も死ぬまで友達と遊び続けられたらなと思う。
仕事が介護士の人や介護のボランティアに行っている人が多いため、自然に会話の流れが介護になり、グループホーム、デイケア、特別養護老人ホームなどの話を絶え間なくしていた。
関わっている人間だけあって、自分が知らなかった痛ましい介護の現状を知ることができた。
糞尿や汚物、薬、食べ物の匂いが充満している施設もあり、入所した時は毎日吐いていたそうだ。
予算がない施設は紙おむつを購入できないから糞尿のついたオシメを手洗いしなければならない。
20歳そこそこの若い介護士やヘルパーがまるで動物を扱うように命令口調で老人と接する。
胸が痛くて自分の未来を考えることが出来なかった。
生涯を終えるときがこんなにも切ないなんて思いたくなかった。
いつか俺もボケる時がくる。
ちろちろと燃えるろうそくの火のような微かな残り火。
その残り火には愛くるしいほどに深く皺が刻まれ、一体どのような人生を歩んできたんだろうと思わされる。
老人との接し方を考えさせられた。